小林可夢偉は新たにパナソニック・トヨタ・レーシングのサードドライバーの任に着くことになった。
しかし、彼はそのモータースポーツキャリアの多くの時間をトヨタファミリーの一員として過ごして来ている。
トヨタ自動車が支援するトヨタ・ヤング・ドライバーズ・プログラム(TDP)のメンバーとしてレースに参戦して来た小林可夢偉は、
サーキット内外で彼の必要とするトレーニングの全てを与えられ、F3ユーロシリーズからステップアップを果たした。
TDPの役割は、若いドライバーがF1ドライバーになるためにサーキットでサポートするだけに留まらず、
語学のレッスンや個人的な体力トレーニングプログラム、そして引退した経験豊富なドライバーによるセミナーなども行われている。
小林可夢偉にとって、TDPは彼の夢であるF1ドライバーの仲間入りすることを支えた存在であった。
「私は14歳の時に日本でTDPに加わり、その後、1年だけフォーミュラトヨタを戦って、ヨーロッパへと渡った。
それからTDPはたくさんの支援と応援をしてくれた。英語の授業や、ドライビングやフィードバックの改善など、多くの面で助けとなった。
TDPには本当に感謝している」
小林可夢偉は2004年にヨーロッパへと居を移した。
現在もパリに居住し、世界でも最も文化的な都市の一つであるパリの雰囲気を吸収している。
「パリは大企業のビジネスマン、芸術家、デザイナーなどの有名な人が集まっていて、街に独特の雰囲気をかもし出している。
パリで時間を過ごすのは魅力的だし、住むのは楽しい」
日本のジュニアレーシングで未来のスターとして名を馳せた後、
小林可夢偉はヨーロッパのシングルシーターフォーミュラでそのポジションを上げていった。
TDPの支援の下、ヨーロッパへと戦いの舞台を移した小林可夢偉は2年間に渡って
フォーミュラ・ルノー・ユーロカップと同イタリア選手権に参戦。
2005年に両シリーズのチャンピオンを勝ち取った。
フォーミュラ・ルノーシリーズでのダブルタイトル獲得は過去に1人しか達成していない快挙であった。
「レースのキャリアを始めた時は、F1についてなど考えてもいなかった。
とにかくそれぞれのレースで勝つことだけを望んでいた。
その時点での私の状況からはF1という世界は遙か遠いものであり、将来に関してあまり考えたことはなかった。
それぞれのレースに勝利することが私の目標であったが、ヨーロッパでシングルシーターフォーミュラのレースを初めてから、
F1への夢が始まった。F1ドライバーになるためには、懸命な努力と、強い意志が必要だ」
その後小林可夢偉は、伝統的に未来のF1ドライバーとなる人材を輩出してきたF3へとステップアップし、2006年、
彼のレベルが有望なものであることを証明したF3デビューイヤーの終了後、
パナソニック・トヨタ・レーシングは冬季テストに参加するチャンスを小林可夢偉に与えた。
その経験は確かに強い印象を小林可夢偉に与えた。彼はF1カーについてこう語る。
「全てが極限まで突き詰められており、F1カーをドライブするというのは特別な経験であった。
F1カーの限界、グリップの限界、集中力の限界で走るというのはとても厳しく、高いレベルでのパフォーマンスが要求される」
バルセロナとヘレスの3日間のテストで全てのプログラムを終了した小林可夢偉は、
F3ユーロシリーズへと戻り、有力なドライバーとしての速さを証明して見せた。
フランスGPのサポートレースとしてF3ユーロシリーズが行われたマニクールで、
それは明白なものとなり、小林可夢偉はF1パドックが見守る中で見事な勝利を挙げて見せた。
2007年シーズン、小林可夢偉はF3ユーロシリーズ4位に終わったが、
2008年シーズン、パナソニック・トヨタ・レーシングでサードドライバーの役割を担うに十分なポテンシャルを示した。
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