ヤルノ・トゥルーリは2004年10月にパナソニック・トヨタ・レーシングに加わり、その速さやレース技術だけでなく、
彼の膨大なF1での経験と人生そのものからチームに貢献している。
モータースポーツは彼の情熱の対象であるが、それだけではヤルノ・トゥルーリの半分しか語れない。
レースとともに、彼の持つワイナリーで、現在国際的に人気の高いビジネスであるワイン作りに励んでいる。
また、カートも製作したりしているが、忘れてはならないのは、家族との生活、妻バーバラと2人の息子、
エンツォとマルコとの生活を楽しみながら、それらに情熱を傾けていることだ。
ヤルノ・トゥルーリはモータースポーツ以外での取組みについて「別の人生を見ているということだ。
我々は誰もが様々な個性を持っている。家族を持った今、そのことについて少し理解が深まった気がする」と語る。
ヤルノ・トゥルーリにとって家族は大切な存在であり、彼がモータースポーツから離れた時の生き方を探していて、
祖父の代から携わって来たワイン作りを選択した。
この物静かなイタリア人ドライバーに成功が訪れた後、2000年に彼はポデーレ・カストラーニ地域のワイン畑を購入した。
その後、年間18000本の規模だったワイナリーを急速に拡張し、現在では600000本という規模にまで成長させた。
「2000年は私にとってワイナリーにおける最初のシーズンだったが、本当に良いシーズンだった。
自分のワイナリーで作られたワインを飲むのは不思議な気分だったが、私の土地と、私の情熱から生み出されたものであり、嬉しかった」
「本当に良い気分だ。特に人々が私のワインを評価してくれた時には格別だ。
私は世界中を旅するが、オーストラリアや、カナダや、その他多くの国々で、私のワインを見ることが出来る。それは本当に素晴らしいことだ」
ヤルノ・トゥルーリは3回の表彰台と1回のポールポジションをパナソニック・トヨタ・レーシングにもたらしている。
彼は1995年の世界カート選手権のチャンピオンや翌年のドイツF3チャンピオンという、ジュニアレーシングでの印象的なキャリアの後、
22歳でF1にデビューして以来、2007年末までに181戦に出走して来た。
ヤルノ・トゥルーリのF1における最初のシーズンは、ミナルディ・チームで始まったが、
元ワールドチャンピオンであるアラン・プロストにその能力を見出され、レースで負傷したオリビエ・パニスの代役としてプロストチームから出場。
この決断は効を奏し、ヤルノ・トゥルーリは見事ニュルブルクリンクで4位入賞を果たした。
続くオーストリアGPでもセンセーショナルな首位走行を見せた。
これらの印象的なパフォーマンスを見て、アラン・プロストは翌1998年と1999年のレギュラードライバーとしてヤルノ・トゥルーリと契約した。
アラン・プロストの新しいチームでは、常に上手く行ったというわけでは無かったが、
豪雨となったニュルブルクリンクでは、彼の頑張りが報われ、2位表彰台を獲得した。
2000年からの2シーズンは、ジョーダン・チームに所属。
ジョーダン・チームでもヤルノ・トゥルーリは注目を集めるパフォーマンスを見せ、
ドライバーにとって最高の挑戦と言われるモナコとスパでの最前列グリッド獲得によって、
1周のアタックでは最も速いドライバーの1人として評判を高めた。ヤルノ・トゥルーリは翌2001年にも4回の最前列グリッドを獲得している。
不運にもなかなか決勝での表彰台フィニッシュには届かず、ジョーダン・チームでの最高位は4位であった。
しかし、2002年、ルノーチームへの移籍によって大きく環境が変化した。
ヤルノ・トゥルーリはチームメイトよりも光る走りを見せていたが、この年も最高位は4位どまりであった。
しかし、2003年には、ついにホッケンハイムで3位表彰台を獲得。2度の予選最前列グリッドも獲得している。
2004年シーズンは、モナコGPでポール・トゥ・ウィンを飾るなど、
これまでのヤルノ・トゥルーリのキャリアの中で最も素晴らしい1年であった。
スパでこの年2度目のポールポジションを獲得したあと、ヤルノ・トゥルーリはシーズンを終える前にルノーチームを去り、
パナソニック・トヨタ・レーシングに加わり、シーズン最後の2レースを戦った。
モナコでの勝利で、F1ドライバーとして一つの目標を達成したヤルノ・トゥルーリは
新しいチームであるパナソニック・トヨタレーシングで更なる活躍を見せた。
2005年、トヨタにとって初めてとなるF1での表彰台獲得を果たし、マレーシアとバーレーンで2位、スペインでも3位に入った。
また、インディアナポリスでは、チーム初となるポールポジションも獲得した。
パナソニック・トヨタレーシングにとってこれまでで最高のシーズンとなった2005年、
ヤルノ・トゥルーリはドライバーズランキング7位につけ、トヨタはコンストラクターズランキングで4位となった。
2006年はポイント獲得が困難なシーズンとなったが、インディアナポリスでは、いつもの印象的な予選ペースが戻り、4位入賞。
最終戦ブラジルでも3番手グリッドを獲得した。
ヤルノ・トゥルーリは2007年も全17戦中14戦で予選トップ10入りを果たすなど速さを見せ、この年のベストリザルトは6位であった。
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